コロムビア在籍時代のいしだあゆみは、昭和43年から55年までの間に31枚のシングルをリリースしました。本作品集ではそのA面曲すべてを発売順に収めたのに加え、その後アルファとCBSソニーから出されたシングルを追加収録。さらに名盤の誉れ高い52年のアルバム『アワーコネクション』の全曲を収録しています。ビクターからコロムビアへの移籍第一弾は橋本淳=筒美京平のゴールデンコンビによる和製ポップスの傑作「太陽が泣いている」。作詩した橋本自身も「力強いチェンバロで始まる京平さんの絶品のイントロにつづいていしださんの堰を切ったような叫びがきこえる忘れられない1曲」(『いしだあゆみこれくしょん』解説書より)と語っています。グループサウンズが流行した当時は、美空ひばりとブルーコメッツの共演による「真赤な太陽」を筆頭に、後に<一人 GS>と呼ばれる黛ジュンや中村晃子らが、GSサウンドを前面に押し出した作品を次々に発表しましたが、本作もその一つでした。平成14年にサザンオールスターズの原由子が昭和歌謡をカヴァーした『東京タムレ』でも採り上げられ、アルバムのトップを飾る一曲となりました。第2弾の「ふたりだけの城」は一転して歌謡バラード。セールス的に奮いませんでしたが、移籍して間もない暗中摸索の時期でもあり、その反省点が次作に活かされて結果的に良い方向へ導かれることになります。43年のクリスマスに発売となった「ブルーライトヨコハマ」はリズム感を重視、チェンバロ、エレキ、ストリングスと厚みのあるゴージャスなサウンドが展開された傑作となり、44年に入ってチャートを急上昇。2月から4月にかけて9週間もの間オリコン 1位をキープして100万枚を超す売上げを記録しました。メロディーの素晴らしさはもちろん、筒美自身のアレンジによる絶妙のイントロ、橋本淳の秀逸な詩が、どこか突き放した様ないしだの唱法と相俟って圧倒的な魅力を醸し出しています。昭和歌謡史上における最もレベルの高い仕事といえるでしょう。この年から発表が大晦日にスライドされたレコード大賞では作曲賞を受賞しましたが、発売時期によっては大賞候補に挙げられても不思議でなかった筈です。いしだあゆみはこれで完全にトップ歌手の仲間入りを果たしました。『いしだあゆみしんぐるこれくしょん』解説書より一部抜粋